マズローの欲求段階説〈自己超越〉に基づいてスピリチュアル業界を分析する

欲求段階説
  1. 「在ること」 (Being) の世界について、よく知っている

  2. 「在ること」 (Being) のレベルにおいて生きている

  3. 統合された意識を持つ

  4. 落ち着いていて、瞑想的な認知をする

  5. 深い洞察を得た経験が、今までにある

  6. 他者の不幸に罪悪感を抱く

  7. 創造的である

  8. 謙虚である

  9. 聡明である

  10. 多視点的な思考ができる

  11. 外見は普通である (Very normal on the outside)

*wikiの記述を参照しています

マズローの欲求段階説自己実現理論)については、ビジネス系のサイトでもたびたび取り上げたことがあります。

個人的には、スピリチュアル的に見ても、この分類は、天台智顗(てんだいちぎ)の十界説にほぼ対応しているんじゃないかと思いますね。

マズローの欲求5段階説

マズローの欲求5段階説については、下図のとおりになっています。

欲求段階説

「自己超越の段階」とは

マズローは晩年、この5つの欲求段階の上に、さらに、「自己超越の段階」(Self-transcendence)の段階があると主張しています。

冒頭に挙げた11個の項目は、この自己超越の段階にある者、
すなわち、自己超越者(Transcenders)の特徴をマズローが列挙したものです。

この「自己超越の段階」は、十界説でいうところの縁覚以上、それも、”気分は縁覚”ではなくて、”実力縁覚”以上の境地ですね
*”気分”と”実力”の違いは別の記事で書く予定です。

菩薩界の境地と言ってもよろしいかと思います。

6. 他者の不幸に罪悪感を抱く
は若干、誤解を招きそうな表現ですが、これは、利他・奉仕を生きがいにしている境地であって、他人の苦しみを放っておけない気持ち、ということですね。

各項目について詳述することも可能ですが、トピックに沿ったものとして、特に

8. 謙虚である
9. 聡明である
10. 多視点的な思考ができる
11. 外見は普通である (Very normal on the outside)

に絞って考察していきます。

まず、9と10ですが、これは、智慧(生活の知恵ではなく、深く真理を体得した知)に関する項目ですね。

実際、声聞から縁覚、そして菩薩に至るまでの、必須科目は智慧の獲得なんです。

マズローの言う、「自己実現の欲求」はかなりレベルの差(というか幅か)があって、天界の上段界〜縁覚下段界のあたりに相当する、と予測していますが、天界までは”智慧”ではなくても、”知恵”でいけるんですよ。

ただ、声聞の境地は、真理知識の獲得を喜びとする境地であり、縁覚の境地は、その真理知識を深く腑に落とし込んでいる段階なのですね。つまり、知恵よりはもっと本質的で深い”智慧”ということになります。

智慧と言っても、哲学的な体系的・思弁的な知である必要はありません。

ただ、シンプルで断片的なものであっても、やはり智慧の獲得が必須科目であることには変わりはありません。

そういう意味で、智慧の証明として、10. 多視点的な思考ができる、という特徴が出てくるんです。

なぜ、多視点的な思考ができるか、それは、

  1. 真理というものが立体的・多面的であることを知っているから
  2. 縁覚以上からは菩薩の準備段階へ入るため、数多くの人の悩みに応えるために、多視点的な思考が必然的に要請される

といった理由です。

特に、知を領分と自称する者であれば、当然、現代の諸問題についても、一定の見識をもって答えられなければなりません。

それが出来ずに、フワフワとした耳触りの良い言葉しか説けないようなら、その人は、縁覚・菩薩の段階にはおりません。これは、はっきりと申し上げておきます。

そして、声聞・縁覚からの転落がたいてい慢心にある、ということも知っておりますので、必然的に、8. 謙虚である、という項目が出てきます。

これは、転落への用心のため、というのももちろんあるのですが、今ひとつは、知を深めるごとに、「自分はまだまだ全然知っていない」という、ソクラテス的な”無知の知”を自覚することになるからなんです。

ゆえに、11. 外見は普通である (Very normal on the outside)ということも大切にしております。

もちろん、美人でお洒落じゃダメだって意味ではないですよ。美を担当する上級霊や、あるいは、アーティスト系の魂であれば、むしろ必須科目になっていくこともあるでしょう。

ただ、通常のスピ修行であれば、外見などは清潔感さえあれば、それほどの拘りを持たないし、一見して目を引くような突飛で華美な外見を作らない、という特徴ででてくると思います。

逆に、外見で派手さがでてくるようであれば、ハッタリを効かせないと気がすまないか、説いていることに内容が伴っていないので、外見の華美さで、内容の空虚さを隠しているということだと思います。

こんな感じで、

当サイトでは、「こうしたほうが良い」「これは止めておいたほうがいい」という善・悪の峻別を念頭に置いて発信しております。

最近では、天上界であっても、王道(メインストリーム)と覇道(魔法界)があるという峻別も発信し始めました。

要は、二元論を中心に発信しております。

これ、何故かと言うとですね、結局、智慧の発生原因が、まずは善悪の峻別にあるからなんです。

それはもう、天国と地獄(あるいは王道と覇道)があるとはっきりしておりますし、まずはココの見分けがつかないようであれば、そこから先を説いても、順序として智慧は発現してこないんですよ。

実際は、善悪を包含した一元論の世界はありますし、本当は、その一元論・二元論をも総合した、さらに上の”一元かつ二元”の悟りがあるんです。これがいわゆる、般若の智慧というものです。

しかし、このレベルの話しを”公開”で、かつ、初歩をすっ飛ばして話しを始めるのはかなりリスキーなことなんです。

一元論は耳触りが良いんですけどね。

一方、二元論は敵も作りやすいですし、もし僕が商売でスピリチュアルをやっているのであるならば、二元論は避けたほうがいいんです。

とくに、現代の諸問題(政治・経済・外交・軍事)などは、リスキーであること、この上ないですからね。

一、二年で、僕が言っていることが正当であるか否かは、バレてしまいますので、間違えたら信頼もすべて失う結果になります。

ただ、そうしたマクロの問題が、結局は、僕らひとりひとりの魂の幸不幸に関わってくるものであるがゆえに、それに対して沈黙をしているというのは、少なくとも、知を領分とした肉身の菩薩として(あるいは菩薩を目指して)生きようとする者の選ぶべき道ではありません

スピリチュアリストというのは、今の世の風潮がどうであれ、本来は、すべての人間の営み・価値観に関わる最高のジェネラリストでもあるんです。

でも、そうした”ジェネラリスト型スピリチュアリスト”が、僕らの次の世代においては、真なるエリートとして認識されるようになってきます。
*ならなければ、今回の文明は強制終了です。

そうした認識のうえにたって、いまだ魑魅魍魎としたスピリチュアル業界のなかにあって、この記事を読んでいるようなあなたであるならば、真なるものを峻別し、選びとっていただきたいと切に思います。