イエスは神の独り子ではない。

ヨハネの福音書 vs トマスの福音書

1945年にエジプトからナグ・ハマディ写本が発見されて、新約聖書の正当性とその基盤に大きな問題が突きつけられたかたちになりました。

現在の新約聖書には収録されていない、かつて「異端」として排斥された、いわゆる<キリスト教グノーシス派>の福音書・黙示録などが数多く日の目をみたわけです。

また、現在の聖書学の研究によって、新約聖書に収録されている福音書その他の文書類は、イエスの使徒たちが直に書いたものではなく、各派閥のなかで書き継がれていったものであり、かつ、書写する過程で多くの改ざんがなされていることも実証されています。

ただまあ、学問的にいろいろとツツくのが当サイトの趣旨ではありませんので、相変わらず思うところをつらつらと書いていきたいと思います。

キリスト教グノーシス派の主張するところで、僕が大事だと思うのは、以下の2点です。

  1. キリスト教の神(天なる父)とユダヤ教の神(ヤーヴェorエホバ)は別の神である
  2. 人間は誰しも神性を持っており、真理へのグノーシス(認識)によって聖霊を受けることができる

この2点については以前も考察致しました。
*参考記事:「キリスト教グノーシス主義の考察

上記の1と2はリンクしていまして、

ユダヤ教と決別してはじめて、「人間は本来的に、原罪を背負った存在である」という、暗ーい思想から開放されることができたはずなんです。この行き方のほうがシンプルに行けたはずなんです。

ところが、正統キリスト教会(のちの、カトリック教会)が、キリスト教とユダヤ教を切り離すことができなかったがゆえに、「人間は原罪を背負っているが、神の独り子であるイエスを通してのみ救われる」という福音(?)へ舵を切ったわけですね。

ただこれね…たとえば、古代ローマの当時であっても、ゲルマン地方(今のヨーロッパ)を伝道する際にもずいぶん苦労したわけですよ、この思想では。

ゲルマンの酋長が「いや分かった。キリストの教えがそんなに素晴らしいものであるならば改宗してもいいが、一点気になる。われらの祖先はイエス・キリストを知らなかったわけだが、そうすると祖先はどうなってる??」

との質問にキリスト教伝道者はうまく答えらなかったわけですよ。

これは、今後、宇宙時代に入っていくにあたって、ますます限界が露呈されていきますよね。

無限に拡がる大宇宙(ココ、「宇宙戦艦ヤマトのナレーションで」)の中では、砂浜の一粒程度にしか見えないであろう地球という惑星にだけに、神の独り子が生まれるって、それは不公平でしょう?っていうことですね。

また、この「イエスのみが神の独り子」思想が、キリスト教の独善性の前提になっていて、欧米列強によるアジア・アフリカ諸国の植民地化の正当性にもつながっていきました。

「キリスト教のみが、神の独り子を通した真実の教えである」ということでは、他の宗教を前提とした文明は、悪魔かもしくは未開のものであるから、教化・教導する必要がある、ということになりますね。

こうしたキリスト教の独善性は、現在進行形でも、世界の宗教戦争の原因になっています。

「イエスは神の独り子」を強調するために使われたのが、新約聖書の4福音書のなかで特に人気のある「ヨハネの福音書」です。

対して、「グノーシス的である」として異端として排斥された「トマス福音書」では、人間一人一人がそのうちに持っている神性が強調され、イエスを媒介にしつつも、一人ひとりが真理へのグノーシス(認識)を得ることによって、聖霊を受けることができる、という。より積極的な思想になっています。

イエスが言った。「私はあなたの先生ではない。なぜなら、あなたは私が量った湧き出づる泉から飲み、酔いしれたからである。……私の口から飲むものは私のようになるであろう。そして、私もまた彼になるであろう。そして、隠されているものが彼に現れるであろう」(トマス福音書35/4-7,50/28-30)

これはほとんど仏教思想に近いですね。

人間はすべて仏性(仏と同じ性質)を持っている。仏陀の法を媒介にはするけれども、悟るのは一人ひとりの修行による、ということですね。
*実際、「トマス派」の一部はインドとも接触があったようです

そして、僕はやはり「トマス福音書」のほうが、より真理を体現している福音書であると思えますし、人間の可能性を信じることができる、より積極的・肯定的な真理であろうと思います。

「トマス推し!」の問題点

ただまあ、ヨハネの「イエスは神の独り子思想」が採用され、トマスが退けられた経緯もわからないでもないな、と、最近、よく思うことがあります。

…というのも、「誰もが神性を持っていて、聖霊を受けることができる」という考え方でいくと、

「私、今日、聖霊を受けました!!ヽ(`▽´)/」

といった自己申告が次々に出てきて、収拾がつかなくなるわけですよ。笑

これ、今のスピリチュアル業界でよくみかける風景ですよね。

「私、高次元霊から直接啓示を受けてます!!ヽ(`▽´)/」って風景(笑)

あるいは、

「3日間の研修で、アカシック・レコードを読めるようになりました!!ヽ(`▽´)/」という風景

ここがね、自らは六大神通力を持ちつつ、霊能信仰を厳しく戒めた仏陀の教団であれば、こうはならない(なりにくい)わけですが、

やっぱり、

  • イエスの伝道期間がほぼ3年とあまりにも短い期間であった
  • ゆえに、方便として、奇跡(霊能力)を多用せざるを得なかった
  • ユダヤ教からテイクオフする時間的余裕がなかった

と、こうした理由で、イエス没後は、<高次元オタク>を抑えることができなかっただろうなって。

やっぱりね、一人ひとりが神性を持っているのは真実であったとしても、その神性を開花させるのは一定の精神修行が必要であるし、また、霊能力信仰へ傾くことへの戒めが必要なんです。

ココをスルーしてしまうと、ほんとに危ない道へ入ってしまうんですね。

それゆえに、「そうであるならば、「イエスは独り子」「福音書はマルコ・マタイ・ルカ・ヨハネの4福音書以外は認めない」と路線でいったほうが、(当時としては)間違いの少ない道だったのかな、と思います。

僕であれば、やはり上記の中道をとりたいところですし、そして当時、そうした中道路線を言っていた記憶もかすかにあるのですが、あまり上手く行かず、浸透もしませんでした。

ただ、あれからほぼ2千年経っていますし、もう一度、中道としての宗教リテラシー(王道スピリチュアル的リテラシー)を伝えていきたいな、という思いがあります。

ポイントはやはり、

  • 人間は(というより、存在すべては)本来的に、仏性(神性)を持っている
  • しかし、それを磨き出すには一定の修行(縁起の理法をマスターすること)が必要であり
  • 「縁起の理法をどれだけマスターしたか、伝えたか」が現在および来世の霊格(住むべき階層)を決める
  • その際に、慢心による転落を避けるために、霊能力・超能力信仰に注意すべきである

ということです。

今回のトピックスですね、「キリスト教グノーシス」「トマスの福音書の可能性」は、けっして趣味的な問題として論じているわけではなく、

もう一度、キリスト教はこの問題に真摯に向き合わない限り、世界の宗教戦争は終わらせることができないし、また、宇宙時代を迎えるにあたって、「イエスのみが神の独り子」思想では、キリスト教会は限界状況に直面することになるだろう、という考えです。

それは、ひいてはキリスト教の救済力の低下にも繋がりますしね。

そういうわけで、今ようやく、真の意味での「トマス推し!」で行きたいと思っています。

*「イエスは神の独り子ではない」と思いますが、<地球という磁場のなかで>地球の至高神の最も側近き存在、最高の霊格を持った存在である。という認識でいます。

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