偶像崇拝について考えてみた

「本当の宗教はただ二つしかない。
そのうちの一つは、
われわれの中およびまわりにある聖なるものを、
まったく形を離れて認め、敬う宗教であり、
もう一つは、
もっとも美しい形において認め、敬う宗教である。
そのどちらでもないものは偶像崇拝である。」

と言ったのは、ゲーテです。

ゲーテの言葉は日本語訳にしても美しいので、
内容以前に、ヤられてしまうってのがあります。笑

***

論点は3つなので整理してみます。

 1.  われわれの中およびまわりにある聖なるものを、
まったく形を離れて認め、敬う宗教

2. もっとも美しい形において認め、敬う宗教

3. そのどちらでもないものは偶像崇拝

***

 1.  われわれの中およびまわりにある聖なるものを、
まったく形を離れて認め、敬う宗教

これはキリスト教で言えば、無教会派に当たりますかね。
プロテスタンティズムをさらに徹底化したような。

ココにある図式は、

 神 ー われ

という実にシンプルで純粋な経験です。

プロテスタンティズムも、本来はここから
出発したはずですが、やはり
「やっぱり牧師はいたほうがいいだろう』
とか。

現実に合わせて、変容はしているでしょうね
(それはぜんぜん悪いことではないと思います)。

***

2. もっとも美しい形において認め、敬う宗教

同じキリスト教で言えば、カトリックですかね。

聖母マリア像とか、天井画とか、
いろいろ賑やかですよね。

***

3. そのどちらでもないものは偶像崇拝

問題は、この3.のところですかね。
2.とどう違うのか。

ゲーテの言葉は詩的なので、解釈は
むつかしい…。

そこで、個人的な体験を元に書きますが。

今まで、1.と 2. の両方、つまり、
プロテスタントとカトリックの礼拝の両方に
参加したことがあるんです。

*ただし、ゲーテの表現でいえば、の分類なので
カトリックであっても、個人の心情により、1.に
分類されるケースもあると思われます。

教義的には、「信仰は聖書のみによる」
というプロテスタントに惹かれるんですが、

率直な感想としては、カトリック教会の方が
霊的なバイブレーションはずっと高かったと感じました。

ここ最近で出席した礼拝でもやはり同じ印象で、
むしろ、ひとりで山手カトリック教会にいくほうが
霊的バイブレーションは高いなーと。

でもこれ、教義の優秀性とか信者さんの信仰心の差
とか、そういう問題ではなく。

意外に、聖母マリア像とか壁画とか、そういった
まあいわば質料としては物体ですよね。

でも単なる物体とはやはり思えないこところがあるんだな、
と感じまして。

それを製作した人の信仰心がマリア像に込められていて、
そこからのバイブレーションもあるのではないかと

仏像であれば、仏師の入魂ですね

***

身近な例で言えば、うちのリビングには南部鉄の
ブックエンドがあるんですが、これを選んだのも、
職人さんの真心がこもったものは単なる物体という
わけでなく、やっぱり真心バイブレーションが
流れるんだろうなって思ったからです。

…とはいえ、我が家のリビングは娘のアンパンマン、
プリキュア、妖怪ウォッチのおもちゃであふれかえっていて、
独特のバイブレーションになってるんですけどね。笑

そういう意味では、たとえば緑の植物って、なんとなく
”調和”の使命があるような気がしていて、

格式の高い神社、たとえば伊勢神宮とか明治神宮とかが
緑深く囲まれているのも、バイブレーション的に調和の
エネルギーを張り巡らせて、外部からの悪バイブレーションを
遮断するという、一種の結界になってるのかな、と思ったりします

***

そんなわけで、”偶像崇拝はよくない”と一概には
言えないもんだな、と思っています。

霊的バイブレーションを感じやすいタイプだと、
宗教が違っていても、たとえば、キリスト教会であれ、
神社であれ、やはり崇高なバイブレーションを感じるもので。

僕が、神仏習合とか言っているのは、
宗教的和解のバック理論として必要、ってこともあるんですが、
そういう霊的バイブレーションの体感からも、
「ある一つの宗教だけが正しくて、他は間違ってる」とか
そういうものではないはず、って思うきっかけになったんです

…とはいえ、じゃあ神社ならぜんぶ良いのかっていうと
そんなことはなくって。

やはり、崇高なものから、普通かなってもの、
それから、近寄りたくないかなーってものまで
いろいろあるように感じます。

***

初期仏教教団では、お釈迦様の御姿をカタチにするのは
とても畏れおおい、ということで、法輪(ほうりん)を礼拝していたらしいのですが。

*法=ブッダの教え 輪=まわる
ということで、”ブッダの法が説かれていること”の
象徴が、法輪となっている。

こういう敬虔な心情に基づく偶像忌避はまたそれはそれで
美しいと思います

ちなみに、Facebookの今(2016/06/05現在)のトップ画像が
この、法輪なんですよー。

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