般若心経を読誦・写経して功徳があるか?

般若心経

お経の読誦・写経の功徳について

仏教のお経は、建前上、すべて仏説ということになっていますので、少なくともインド起源の原典であるはずです。

まあでも、これはやはり建て前であって、何かしら根拠があるにせよ、西域や中国などで編纂されて「仏説」と銘打っているお経が多いのが現状です。特に、大乗経典はそうですね。

*般若心経はサンスクリット語原典が残っています。

建て前が、仏陀の説法である以上、説法には内容があるということで、基本的には、内容を理解しなければ意味がないということになります。

なので、般若心経であれば、般若心経の内容を理解するのが原則であって、意味が分からず読誦したり写経しても、どうなのかな?という論点は残りますね。

ただ、言霊信仰の一環として、意味は分からずとも、言葉を唱える・書写するというのに、まったく意味がないかというと、それも極論になってしまいます。

まあ…そもそも、お経にどの程度、仏陀の言霊が残っているか。

最古の仏典であっても、仏陀入滅後数百年後に編纂されていますので、純粋な言霊論としては難しい部分があるんですけどね。これは、「伝言ゲーム」などを想像してみれば分かりますね。

そもそも、釈尊はサンスクリット語を使っていたわけではないので、それをさらに漢訳しているとなると、ほとんど言霊は残っていないと考えたほうが良いでしょう。

あとは、仏典を編纂(もしくは翻訳)した僧侶の悟りがどの程度のものであったか、にかかってくると思います。

僧侶の悟りが一定以上のものであれば、それなりのスピリチュアル的な言霊は含まれていると考えても良いでしょう。

ただそれにしても、やはり、内容をきちんと理解するのがベストであることには変わりありません。

内容の理解なしに、読誦・写経した場合の功徳として考えられるのは、

  1. とにかく崇高なものに心を向けるという習慣が身につく
  2. そのお経に関わった僧侶たちが霊的に感応してくる

この2点ですかね。

般若心経について

般若心経については、今ざっと現代語訳と注釈を行っています。

自画自賛になりますが、過去のあらゆる注釈書・訳書を超えた内容になっていると思います。

というのも、神秘的な能力と学問的(合理的)な能力を両立できている注釈者・翻訳者がほとんどいないからです(とくに近年ではそうです)。

例外としては、空海が『般若心経秘鍵』という注釈書を書いていまして。

般若心経秘鍵

 

 

 

 

 

 

 

空海は、神秘主義と合理主義を両立できるタイプですし、その悟りの高さはもちろん僕の及ぶところではありません。

ただそれにしても、1200年以上前の書物という時代の制約はあるかな、と思います。

ここでは深入りしませんが、やはり、空海自身が打ち立てた「真言密教が第一の宗派である」という証明のために書いている側面があるように見受けられます。

現代人が書いているものとして一番参考になったのは、『真釈 般若心経』(宮坂 宥洪著)です。これは一読をお勧めしますし、僕としてもけっこう参考にしました。この著者は学者であり、真言宗のお坊さんでもあります。

般若心経

 

 

 

 

 

 

 

が。やっぱり、「空」の理解が学問レベルと、真言宗の僧侶の理解、という範疇で止まっています。

逆に言えば、学問レベルで解釈した般若心経本としては、この本が最高だと思います。すごく丁寧に解釈しています。

話しは逸れましたが、般若心経を現代語訳・注釈しながら改めて感じたことは、

  1. 「空」と「無」の意味を理解することなしに、書かれてあることを鵜呑みにすると、かえってデメリットになる危険性がある
  2. 大乗仏教は、小乗仏教に対するコンプレックスから抜け出せていない。小乗仏教とLINKしきれてない。
  3. 般若心経の「空」の悟りも、けっして最高の段階には至っていない

この3点です。

この3点を解説しようとすると、結局、般若心経について解説しないと済まなくなりますので、ここでは深入りはしませんが、前フリとしてひとつ、ポイントを書いてみます。

たとえば、

無苦集滅道

という部分があります。

ここは、仏教を少しでも勉強したことがある人であれば、「ええっ!?」と驚かなければいけないところです。

というのも、釈尊が悟りを開いて、最初に説法した内容が、「苦集滅道」のいわゆる四諦八正道であると言われているからです。これを、初転法輪(しょてんぼうりん)と言います。

また、出家者や熱心な在家信者には、この四諦八正道を中心に説いていたであろうことは充分に予測がつくのですね。

したがって、当サイトでも四諦八正道は何度か取り上げています。

参考記事:「四諦、四聖諦(苦・集・滅・道)を王道スピリチュアル的に解釈してみた

なのに!

無苦集滅道

「苦集滅道も無い」とはいかなることか?!ということですね。

ここ、驚くところです。

この部分について、とりあえず一言申し上げておきますと、

より高次元の悟りから見ると、下位次元の悟り・修行方法(苦集滅道)は、仮のもの・方便である。つまり、本来、無い、(=無)ということができる」ということなんです。

ところが、それは逆に言えば、高次元の悟りを理解できていなければ、それは単なる否定で終わってしまうということになりますね。

また、高次元から見て、方便であると言っても、方便を使う以上は、「必要なものである」という認識から出されているわけです。

実際、苦集滅道はやはり地上に肉体を持って生きている限り、あるいは生きながらにして菩薩界上段階以上の悟りを持っている人間でない限りは、必要だと思っています。

そうすると、ほとんどの人にとっては必要な教え・修行方法ということになります。

ところが、おそらくは、この苦集滅道でさえ、理解しようと思う人は少ないでしょうね。

実際は、現代の日本人の知的レベルからすれば、とりあえず「こういうことだったのか!」と理解するくらいはそんなに難しいことではありません。

ただたんに、

  • 自分に必要だとは思ってないから
  • 面倒だから

学ばないだけで、

これは本当に、本当に、もったいないことです。

以前にも言いましたが、年収一億円稼ぐとことよりも、四諦八正道を理解するほうがずっとずっと上になるんです、実在界の観点からは。

そして、実際に、「実在界の観点」がすべてであり、「現象界(この世)の観点」は過ぎ去ってゆくものです。

稼いだ一億円も、死んで実在界に持っていくことはできません。

ポイントはたったひとつ。

過ぎ去っていくものではなく、過ぎ去らないもの(不変の価値を持つもの)に意識を向ける

ということです。

そして、四諦八正道が理解できてはじめて、次は「空」の理解にいきましょうか?ということになります。

そういう意味で、般若心経は、けっこうなレベルの悟りであり、また、下位次元のものを「無である」と切って捨てていますので、そのまま受けとるのは危険なんですね。

必要なものをスルーすることになるからです。

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