小乗仏教(テーラワーダ仏教)では悟れない理由 – ③福徳(倫理)を除外した解脱はありえない

無常・苦・無我

「善いことをしたら天国、悪いことをしたら地獄」!?

小乗仏教(テーラワーダ仏教)では悟れない理由 – ①総論
小乗仏教(テーラワーダ仏教)では悟れない理由 – ②阿羅漢って結局、何だったのか?」の続きです。

「善いことをしたら天国、悪いことをしたら地獄」というと、今どき子供向けにすらならない、近代以前の人たちの迷信だ、と思っている人が現代人には多いでしょうね。

しかし、結論から言いますと、これは「本当のこと」なんです。

これを現代人にも分かりやすくご説明した(つもりの)記事が以下のものであり、
*「生まれてくる意味と目的って何だろう?」シリーズ

逆に、難しいことはさておいて、「これだけは理解しておきましょう」という趣旨で書いたものです。

ところが、小乗仏教では、(修行者に関しては)まさに、ここのところに躓き、思想的ミスがあると私は考えています。

福徳を積むことは解脱・涅槃に資さない??

最近、『大乗非仏説をこえて: 大乗仏教は何のためにあるのか』(大竹晋・著)という本を読んだのですけどね。仏教に興味がある人にとっては結構話題になっている本であるようです。

この本の趣旨を一言でいうと、

「学問的に検証してみると、大乗仏教は決して釈尊オリジナルに還元することはできない。「大乗非仏説」には対抗できない。しかし、大乗の修行者の数々の体体験談を検証すると、大乗が悟りに資することもやはり否めない。なので、大乗は歴史的釈尊にむりに接続しようとするのを諦めたほうが良いのではないか。小乗とは別の宗教であるという開き直りが必要なのではないか?」

という感じだと思います。

まあこの本については、緻密に検証しているようで、けっこう論の運びが乱暴だな、というのが私の印象なのですけど。それはまた別の問題として。

この本で取り上げている項目の中に、「あ、小乗仏教の問題点の中心はココにあるな」と思える箇所がありましたので、御紹介してみます。

上座部に伝えられている『スッタニパータ』に以下の偈(げ=詩のこと)があるそうです。(以下の引用文はp116-117より)

わが身にとって福徳は、微塵ほどにも意味がない
福徳に意味があるという、彼らに悪魔は説くがよい。

あたかも清き白蓮が、汚水に穢されぬように、
さようにおん身は福徳と、罪悪の二に穢されず
勇者よ、足を伸ばされよ。サビヤは師へと敬礼す。

(P117)

*太文字にしたのは高田です。
そして、著者の大竹氏は以下のように解説しています。

原始仏教においては、福徳も罪悪もあくまで有漏(”煩悩あるもの”)であって、福徳をも積まず、無漏(”煩悩なきもの”)となった者のみが、決して生まれ変わらないまま、涅槃に入るのである。

(p116)

ここのところがね、まさに、小乗仏教もしくは、テーラワーダ仏教(上座部仏教)の思想的ミスの中心点だと私には思われます。

ここで説明されていることを簡単に言うと、

「一般ピーポーは、福徳を積んで(布施して戒を守って)、天界へ生まれることを希みましょう。しかし、修行者にとっては、福徳も”カルマ”の一種であるので、(決して二度と生まれ変わらないという)涅槃には邪魔なものである」

という思想です。

これはもう差別というか…、まあ差別していますわね。要は、「オレらだけ、解脱を狙いますんで!」みたいな。

この差別感がですね、実は釈尊没後100年後あたりから始まった部派仏教時代の僧侶のあり方を規定している側面があると考えます。

そして、「これはいくらなんでもおかしいのではないか?」というのが、大乗オリジナル期の原動力になっていったんです。

ただ今回、問題にしたいのはそちらの差別感のほうではなくて、引用文にある”わが身にとって福徳は、微塵ほどにも意味がない。”という部分です。

福徳は解脱になんにも関係がない…どころか、”福徳と、罪悪の二に穢されず。”で、罪悪と同一視されていますよね。

これでは、宗教として、「倫理の基礎づけ」を放棄している状態です。そのこと自体がバツだと思いますし、また、実際の思想内容も大いに反論の余地があります。

韻文経典は釈尊オリジナルに近い思想か?

みなさんのなかで、「ちょっと仏教でも勉強してみるか」と思われて、とりあえず有名な「ブッダのことば―スッタニパータ (中村 元 岩波文庫)」を読まれた方、意外に多くいらっしゃるのではないでしょうか?

そして、読後感として、どうにも肩透かしを食ったような感覚を味わられた方もいらっしゃるのではないか(もしくは読み通せない)、と私は想像しているのですけど。

表紙には、「数多い仏教書のうちで最も古い聖典」と書かれています。そこに惹かれて、「釈尊のオリジナルに近いんだろう」ということで手にとられる方が多いのでは?と思うんですね。

この、スッタニパータは仏典の中でも最古層に属する、というのは編者である中村元教授がまさに唱えた説なんですけどね。

簡単に言えば、詩の形式・韻文なので唱えやすい→覚えやすいので、初期は釈尊の教説をこれで暗唱していたのだろう、と。

そして、このスッタニパータとかダンマパタ(法句経)などが、だんだんに散文として整えられて、後世のむずかしい経典に発達していった、という学説です。

ただこの学説は今ではほぼ覆っている状態です。詳しくはここでは書きませんが、ひとこと言っておきますと、たしかに「スッタニパータ」や「ダンマパタ」には素晴らしい警句も多いですよ。

でも、釈尊の教説の中心である、四諦八正道、無常・苦・無我、十二因縁、五蘊/六根・十二処・十八界…などがまとまったかたち出てこないので、それで、「あれ?有名な四聖諦(ししょうたい)はどこに書いてあるの?」みたいな。

これが「肩透かし」の読後感の原因ですね。

それどころか、近年では仏説と言うより、ジャイナ教や『マハーバーラタ』と共通の言い回し・表現が多い、ということで、むしろ最古層どころか、もっとも後期に「仏説」として追加されていった、という説のほうが優勢なようです。

なので、話がまた逸れそうですが、小乗系の仏典を読むのであれば、釈尊の教えの骨格が具体的に説かれている「相応部経典」「増支部経典」あたりからさきに読まれたほうがよろしいかと思います。

たとえば、下記の2冊がお薦めです。

ブッダのことば パーリ仏典入門 』片山 一良 (著)
こちらは、パーリ仏典の分類どおり、「長部」「中部」「相応部」「増支部」「小部」の順番で、ベスト盤的に紹介・解説もされています。小乗仏典の全景がざっと把握できます。

阿含経典による仏教の根本聖典』増谷 文雄 (著)
こちらは、経典の内容別に著者が再分類して紹介・解説しています。前半には、「釈尊の物語」とでも言うべきものが順に並んでいますので、初心者の方にはこちらのほうがいいかもしれません。

何が言いたかったかいうと、「スッタニパータに書いてあるから、真理」とは言えない、ということです。さきの引用文は明らかに異物混入しています。

「施論・戒論・生天論から四聖諦へ」が正当な順序

七仏通戒偈(しちぶつつうかいげ)

さて、では福徳は本当に悟り(解脱→涅槃)に資さないのか?という問題ですね。

そもそも、有名な七仏通戒偈(しちぶつつうかいげ)に次のように説かれています。

一切の悪をなさないこと、善を具えること、

自らの心を清めること、これが諸仏の教えである

-『長部』14「大比喩経」

「善いことをして悪いことは止めましょう、そして心を浄めましょう。これが諸々のブッダの教えです」という実に簡潔に説かれていますね。

そうであれば、福徳つまりこれは「もろもろの善」ですね、これが解脱→涅槃の妨げになるという思想は、七仏通戒偈違反ということになってしまいますよね。

ヤサ男はいかに出家したか?

「ヤサ男」ってのは、じつはオリジナルは釈迦弟子のヤサのことなんですけどね。

ヤサは釈迦教団の超初期に出家された方です。やはり、優男(やさおとこ)という言葉ができる通り、女性に取り囲まれて豪奢な暮らしをしていたのですが、

あるとき、宴会のあとをちろっと見てみたら、女たちがよだれを垂らしてだらしない格好をして寝てるのを目撃してしまった(笑)のですよ。それで、「あー嫌だ、嫌だ!」ということでブッダと出会うことになるわけです。

そのヤサに対してのブッダの説法が、次第説法(しだいせっぽう)と呼ばれるもので、その出発点が「施論・戒論・生天論(せろん・かいろん・しょうてんろん)」と言われています。

  • 施論:善いことをしましょう
  • 戒論:悪いことはつつしみましょう
  • 生天論:そうすれば、天界に生まれることができます

というじつにシンプルな説法です。

その施論・戒論・生天論を聞いて、優男のヤサは、「あー、なんと素晴らしい教えなんだろう!」と即座に理解しましたので、それを確認したブッダは、「む。素質あるな、では、次に」ということで、四聖諦(ししょうたい)を説いていくわけですよ。

まさに、次第説法、です。順に高度な教えに進んでいくから「次第説法」なんです。

ゆえに、施論戒論生天論と四諦八正道は順接に接続しているものであって、決して、

  • 施論戒論生天論→一般ピーポー向け、せいぜい天界を狙いなさい
  • 四諦八正道→修行者向け、解脱して輪廻からオサラバしましょう!

などという二分割された構図ではない!のです。

実際、仏弟子のアニルッダという人が、「誰か福徳を求める人は、私の針に糸を通しておくれ」と求めたところ、「では、私が」と、ブッダ自身が針を通してくれた、という話が仏典に載っています。

上記の大竹氏の説明によると、ココのところはむしろ「例外」で、後世、大乗仏教の影響を受けてできた仏典ではないか、と書かれていますが、

そうではないんです、こっちが釈尊の真意なんです。釈尊自身も福徳を積むのです。

結局、涅槃(ねはん)の解釈に誤りがある、ということ

それで結局、これらのことは根本的にどこに原因があるのか?というと、やはり、「涅槃(ねはん)の解釈に問題がある」と言わざるを得ないんです。

ちなみに、解脱(げだつ)と涅槃(ねはん)はどう違うのか?というのをざっくり説明しますと、

われわれが今、生きているところの現実世界、現象界ですね。まあ、「この世」です。

この世の苦しみの根源は、たどっていけば、「自我意識」にある、と釈尊は発見したのです。

「われ、あり」という思いから、「わがモノ」という思いが出てくる。そして、執着がでてくる。そして、苦しみに至る、という順序です。

ゆえに、

「あなたが、「われ」と言っているものをよく考えてごらんなさい。肉体も心も時々刻々と変化しているじゃないですか(=無常)」

そして、

「あなたも、あなたを取り巻いているさまざまな事物も、それ自体としては存在できない、相依(あいよ)って、「たまたま、いま現象としてある存在」に過ぎないですよね?それ自体として永遠不滅のものではないでしょう?(=無我)」

「無常であり、無我であるのが真実なのに、「常なるもの、我あり」という錯誤こそが苦しみの根源になっているんですよ(=

という、「無常・苦・無我」という構図を説かれたわけです。
参考記事:「人生の苦しみから逃れるための呪文とは? – 無常・苦・無我(三相)

こうした、無常・苦・無我の構造を知識としてつかみ、さらに実践と瞑想によって符に落としていくと。そうすると次第に、執着から離れて、実在の視点から、俯瞰するようにこの現象(この世です)の事象を眺められるようになる、と。

この、「現象への執着から離れて、実在の視点へ移動していく」というダイナミクスが「解脱(げだつ)」なんです。

そして、解脱した結果、実在の観点から現象を俯瞰するように眺められる、という余裕の心境、これが、つまりは涅槃(ねはん)なんですよ。

つまりは、解脱の結果、涅槃という境地がある、ということになります。

ところが、この「実在」もしくは「実在界」というのがサッパリ分からなくなっているから、結局、「解脱も涅槃もなんのことやら??」というのが、小乗仏教のもやもやしたところになってるわけです。

まあ、簡単に言えば、ですね。

で、やはり、解脱→涅槃のプロセスに至るためには、やはり、福徳(善行)は必要なんです。

なぜならば、福徳=善行=利他行=愛を与えること、は、これ自体が「自我意識」を超えていく契機になるからです。

だって、「自分と彼は別個の存在」という意識(自我意識)だけでは、「え?何のために利他なんて必要なの?手間暇かけるだけ損でしょ」ってなっちゃうじゃないですか。

そうではなくって、

利他を実践してみると、なぜか幸福感が湧き出てくるわけですよ。この幸福感があるからこそ、世にボランティアは尽きないわけですよね。

そして、「自分」と「他者」は現象としては別々に見えるけれども、実はそうではなく、密接に関連している存在なんだ。さらに踏み込めば、一体なんだ。と。

だから、他者を利することが自分の幸福感につながってくるんだ、ということが分かってくるんです。

この利他行からくる「幸福感」「納得感」こそが、さきほどの、「自我意識」を乗り越えていく契機になるんですね。

それは、逆に言えば、利他は「無常・苦・無我」を本当の意味で理解していく道でもあり、それが解脱→涅槃への道につながっていくという構図になってるわけです。

まとめ

そういうわけで、結論としては、

  • 福徳=善行=利他が涅槃に資さないという思想は誤りである
  • そして、その誤りの根源は、「涅槃」というターム(用語)の誤解(というか、サッパリ分かっていない)からきている
  • 福徳は、ハッキリと解脱→涅槃に資するものである

ということになります。

次回は、涅槃について、もっともっと踏み込んでみましょうか。

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