霊格と輪廻転生の関係とは?

霊格 輪廻転生

霊格と責任について

前回の記事で、私自身(なぜか一人称が変わっていたりする)が本当は何者なのか?という話をしました。
*「観自在菩薩とは何者だったのか?

けっこう反発や批判が来るのかな?と予想していたのですが、意外に、1件も来ないんですよね。まあ、批判が来るほどには、もともとの人気がない、という説もあります(笑)。

というより、好意的なメッセージを頂くことが多く、恐縮する限りです。

それから、「言ったら、自分自身後悔するだろう」と予測していたのですが、これもハズしました。ハズしまくりで、「本当に、観自在なのか?」という反省が入るくらいです(笑)。

ここ数年、似たような夢ばかり見ていまして。

どんな夢かというと、

  • 電車を乗り間違えて、目的地につかない
  • 家に帰らなきゃいけないのに、車の置き場所を忘れた
  • 卒業試験にパスできない

と、こんな感じですが、まあ共通点は何となくわかりますよね。

要は、「本来の使命を果たしていない」「生まれてくる前に「ここまではやっておこう」と決めてきたことから、かけ離れようとしている」という警告。あるいは焦りで。これはずっと分かっていたことなんですけどね。

告白してスッキリしたということは、やっと本来の路線に戻れるということであり、それは逆に言えば、それだけの責任が生じるということでもあります。

菩薩くらいの霊格だと、最低位であったとしても、やはり数万人程度の人々を導く仕事量が要求されると思います。後世への影響力も含めて、です。

天界から上は基本的にはリーダーシップの世界であり、菩薩界であれば、それはもちろん天界以上のリーダーシップが求められるのは言うまでもありません。

今日は、もともと「リーダーシップ論」を書こうかな、どっちにしようかな、と思っていたのですけど、あまりカタい話が続いてもなんですので、もう少しリラックスしたお話をしますね。

ともかくも、天使とか菩薩とか23次元とか(笑)、いろいろ名乗っている方は多いですし、自己申告は勝手なんですけど、

上に行けば行くほど、責任が大きくなるんですなので、「責任はとらない、リダーシップはとらないけど、名誉だけ欲しい」というのは通じない世界である、ということになります。

これは、現象界(地上)でも実在界(あの世)でも一緒ですね。地上の会社組織などでもそうなっています。

輪廻転生は区間リレーのようなもの

最近、年取ったせいか(?)、お正月は箱根駅伝を見ているんですけどね。ま、年は関係ないか。

目的地に至るまでに、数人のランナーがそれぞれの区間を走り、バトンタッチをしている姿を見ていると、「あ、輪廻転生ってコレだな」と思ったりします。

ひとつの区間だけを見ていると、ちょっと遅れがちだったり、また、アクシデントも起きたりします。

その区間だけに、文字通り区切ってみると、「あ、大変だな」と思うこともあるでしょうけど、

バトンタッチをして、次の区間に入ると、また違った風景が出てきます。

輪廻転生で言えば、ひとつひとつの区間がイコール、ひとつひとつの人生ということになります。

「今回限り」という価値観で見ると、いろいろと恵まれていないこともあったり、また逆に、上り調子であることもあります。

そして、他人や自分の理想と比べて、「自分はどうしようもないな…」と思うこともあるのでしょうけど、それはあくまでひとつの区間(人生)に限った価値観から生じているわけですね。

次のランナーにタスキを渡す、というのはもちろんマラソンで、タスキを渡す相手は他人なのですけど、

輪廻転生というのは、タスキを渡す相手がまた次の人生の自分である、ということになります。

それを考えると、今回の人生でいまひとつだったな…と思うことがあったとしても、次の人生でその教訓を活かし、また追い抜いていくことも可能である、ということになります。

ただ、駅伝と違うところは、まず、目的地ですね。「これでゴール」という「終わり」があるのかどうか?

ここのところは、小乗仏教やあるいは禅宗などで言う、「悟ったか」「悟ってないか」という2分法がありますけど、

実際は、悟り(=認識力の獲得)というのものは、そういう「悟った – 悟ってない」という2分法で、いわばデジタルに分けられるものではなく、むしろずっとアナログなものなんですね。

メルクマールとして、「ここまでの悟りを得た」というのはありますけど、実際は、それが究極の悟りではなく、まだまだ「その先」がどんどん続いていきます

魂の起源から霊格を考えてみる

霊格の話に戻しますと、天界とか菩薩界とか…また、それぞれの中に気の遠くなるような階梯があるのですけど、

「あの人は天使なのに、私は普通の人間?とうてい納得できない、不公平だ」という思いも出てくるでしょう。

この問題については、「魂の起源」ということを考える必要があります。

結論から先に言ってしまうと、ずっと先に進んでいる魂というのは、実際は、魂が出来た(作られた)起源が古いことが多いんです。

上位霊からエネルギー分化して、地上に生まれ、そこで一人の”ワタクシ”という個性を獲得するという経験。この歴史が古いということです。

つまり、「先に出発しているから、ずっと前を走っている」ということなんですね。

まあ、先に出発しても、まかり間違って、逆走してしまうパターンも意外に多いんですけどね(笑)。

たとえば、算数が好きな小学1年生のA君がいます。クラスでは一番です。

でも、そのA君であっても、高校生の落ちこぼれのB君と比べたら、やっぱり、算数に限っても、B君のほうが算数(数学)ができるでしょう。

そういう意味では、「菩薩である」と言っても、「それはいつ出発した魂ですか?」という論点もあり。

起源がすごーく古い魂なのに、まだその地点ですか?という論点もありますね。

そうすると、「菩薩界で偉い」というのはあまりに単純な話で、実際はもっと先に進んでいてしかるべきであり、これはさっきの学校の例で言えば、「志望校に18浪してやっと受かった」みたいな。笑

まあ、こういう捉え方もありますね。なので、現時点で「先に進んでいる」「遅れている」と落ち込んでしまうのも、やはり狭い考え方で、

本当にスピリチュアル的に発想するのであれば、「今、どの地点にいるか?」ということよりも、「今いる地点から一歩でも二歩でも進んでいくことを喜びとする」というほうが正解ですし、幸福感も大きくなる、ということです。

民主主義の時代は、転落と新規参入が隣り合わせになっている

民主主義の時代は、魂にとって大きなチャンスでもあり、また転落のピンチでもあります。この両面が必ず出てきます。

過去世認定で、「あなたは過去、〇〇時代に姫でした」「皇室にいました」とか、こういうことを言われると喜んでしまいそうですが、

実は、そういう王族とかですね、「生まれながらに身分が高い立場にいた」というのは、霊格を維持する/発揮する立場としてはかなり恵まれてはいたんです。昔はね。

というのも、「心ばえが善の方を向いていて、ある程度、正論を述べられる」という段階の魂であっても、王族という立場であれば、

生まれながらに最初から「身分」という舞台が整えられているということであり、それはつまり、影響力を発揮するのが比較的、容易である、ということになります。

霊格を挙げていくための公式を何度か書いたことがあります。
*「生まれてくる意味と目的って何だろう? –⑤菩薩界へ還るための公式

仕事量=智慧×慈悲 

ということでしたね。

今回の例で言えば、生まれながらに身分が高いということは、慈悲を発揮する機会が生まれながらにセッティングされているということになります。

王が民衆千人に語りかければ、それはもちろん、「一対多」ということになりますので、説法の内容がそこそこであっても、まあ千人分は影響力を行使することができますからね。

ところが、民主主義社会であれば、基本的には、「一対多」の段階にもっていくために、そこまでのポジションを獲得するための努力が要求される、ということになりますので、やはり、難易度が上がります。

また、過去、王族などでずっと生まれていると、どうしても(善人であっても)、どこか「人にお世話を受けるのが当たり前」「上から物申すのが当たり前」という状況ですので、

それがひとつの「心のクセ」になってしまい、民主主義の時代に生まれ落ちると、すごく周囲との齟齬が生じやすくなります。

平たく言えば、「一民衆でいることに不慣れである」ということになりますかね。

なので、過去、王族でいることになれてしまったことが却って、今回の人生(民主主義の時代)では、足かせになってしまう、という事態に陥ってしまいます。

そこで、自尊心が持ちこたえられないと、さまざまな葛藤で、魂的に降格してしまう、というケースも多々ありそうです。

逆に、「ずっと民衆でやってきました」「イチ民衆から、輪廻するごとに商売を頑張り、ブルジョアまで駆け上がってきました」という魂は、今回はすごく有利に人生を運んでいくチャンスであります。

下手な自尊心はありませんし、また、さきほどの「あらかじめセッティング」が無しでもやっていける力がすでにあるということなので、この点、民主主義の時代では有利に働くことになるわけです。

そういうわけで、今回われわれが生きている民主主義社会ですね、これは、言葉はアレですが、「下剋上のチャンス!」と言ってもも良いかもしれません。笑

つまり、かつては天使であったものが今回の人生を機に降格になり、逆に、着々と魂の地力を貯めてきた一般ピーポーが天使に昇格する機会でもある、と。

なので、これもマラソンと似ていますよね。

ある区間だけをとってみて、「天使だ」「菩薩だ」と言っていても、ずーっと箱根の山を登る区間に入ったら、いきなり「棄権します」みたいな。そういう可能性もあり、また、逆のパターンもあり得るということです。

そのように考えてみると、まさに、「禍福あざなえるが如し」で、

以前の転生では有利(上り調子)であったものが、今回の転生では不利(下り坂)になることもあり得るということになります。

でも、これは今回だけの人生だけを考えても、一定の年齢の方は一通り経験していることでもありますよね。

「不遇だった」という経験が、あとでプラスに働いたり、またその逆もアリ、で。そういう洞察が長いマラソンでは大事だということです。

うまくご説明できたか、分かりませんが、要は、

王道スピリチュアル的な人生観をに立てば、今回の人生だけをとってくよくよする必要はない。永遠の輪廻転生という観点から俯瞰して眺めてみれば、ぜんぜん違った風景が見えますよ

ということです。いくらでもやり直せるし、いくらでも逆転のチャンスがあるということです。

その余裕があれば、走りながらでも道端の花を愛でたり、透明な空気を味わう余裕がでてきますね。

長距離ランナーとして、一走り一走りを遊ぶような心持ちで、過ごしていきましょう。

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