生まれてくる意味と目的って何だろう? – ②波動理論

盧遮那仏

前回の復習

さて、前回の続きです。

ざっと復習すると、

人間の本質は、肉体ではなく、エネルギー存在である。したがって、肉体がなくなった(一般に言う、「死んだ」ということですね)後も、生命は存続する、というお話でしたね。

そして、今回のトピックとしては、

では、「なぜ、肉体をまとって地上に生まれたり、また、死後、霊界で生活する」というサイクルを繰り返すのか?

そもそも、霊界というところはどういうところなのか?」という話しをしてみたいと思います。

「波動理論」で、現代風に霊界の成り立ちを考察してみる

まあ、ここでまた「霊界」というと、おどろおどろしくなってしまって、真正面から宗教的に切り込んでも、あまり読んでくれるひとがいなくなるわけですけどね。笑

そこで、現代人にも分かるように、「昔から言われている霊界って結局、何なの?どういうところなの?」という話から初めましょうか。

人間の本質が、「アイデンティティを持ったエネルギー存在である」という話しを前回しましたが、

エネルギーというのは、常に一定の波動を発しているものなんです。

波長と言っても、波動と言っても良いですけどね。

そしてですね、

波動を発しているということは、「似たような波動を持った存在が惹かれ合う」という結果になるんです。

波動が同調するわけですね。

ちょうど、周波数を合わせれば、ラジオの特定の番組をキャッチできるように。

でもこれは、霊界に限った話でなくて、この世でもそうですよね?

なぜかウマが合うとか…、趣味・趣向・価値観が近い人は、一緒にいると居心地が良いわけです。

ただし、趣味・趣向・価値観が近くても、自分より、ずーっと優れている人や、逆に、「まだまだですなー」っていう人とは、ちょっと居づらい部分がありますよね。

ということは、まとめますと、

波動が合う、イコール、「趣味・趣向・価値観が近くて、かつ、認識力が同じくらいの人」ということになるわけです。

この世では、仕事も生活もありますので、必ずしも、そういうウマが合う、波長が合う人とはずっと一緒にいられるわけではないですが、

それでは、仕事も生活の軛(くびき)もなくなったら、どうするか?というと、

やっぱり、人は居心地に良い方向へ流れますので、波長が合う人とずっと一緒にいたくなるわけですよ。

これが、つまり、霊界の秘密のカギになるところなんです。

肉体がなくなるということは、肉体を食べさせる必要がなくなりますので、働く必要がなくなるということです。

ということは、この世の現象界での生活のように、「嫌な人と会う苦しみ」というのが存在しないんですね、霊界は

各々が、死後、波長の合う人同士で集まって、結果的に、特徴のある「世界」を作り上げているわけです。

これが、神仏の目から見ると、大雑把に「天国と地獄」に分かれるということになりますし、

また、天国と地獄のそれぞれの中でも、無限に近い「村」ができているということになるんです。

たとえば、生前、愚痴や不平不満が多く、それが魂のクセになってしまっている場合、

同じように、愚痴や不平不満が心のクセになってしまう人同士で集まって、完結した世界を作っているんです。

あるいは、短気な人。怒りっぽい人は、死後、同じように、短気で怒りっぽい人同士で集まって、完結した世界を作っています。

まあこの、「怒りっぽい、戦闘的である」人々が作り上げている世界を、昔から、「修羅界」などと呼んでいるわけです。

つまり、閻魔大王が居て、気分に従って、「きみはこっちで、あなたはあっち」というふうに、ポイポイと「すでにある世界」に投げ込んでいると言うよりも、

やはり、波動の似通った人同士が集まって、結果的に、「修羅界」とか「畜生道」とか、あるいは、「天界」などの世界ができあがっている、ということなんです。

*ただし、死後の世界にも一定の「慣れ」が必要なので、霊界に来たばかりの人を導く、閻魔大王的な(?)ガイダンス役というのは存在します。

また別の例えを使いますと、、

コップの中の水に砂を混ぜて、振ってみると、しばらくは泥水になりますが、時間が経つと、比重の重いものは沈殿してコップの下の方へ行くじゃないですか。

そして、比重の軽いものは上澄み液と言うか、コップの上の方へ行きますよね。

このように、心の波動が荒い人は下の世界へ趣き、心の波動が精妙な人は上の世界へ赴くということになるんです。

これが、おおざっぱに言う、「天国と地獄」ということになるんですね。

そして、比重の重いものでも、さらにその「重さ」によって、どこまで下に行くのか。

あるいは逆に、比重の軽いものでも、どれだけ「軽いか」でどこまで上のほうへ行くのか。

というところで、霊界というところは、ちょっと分類が難しいくらいの階層構造になっているんです。

その階層構造を仏教では、6つに分類したり10個に分類したりするわけです。

以前から、ネオ仏法の記事を読んでいる方であれば、「十界論(じっかいろん)」にはもう慣れたかと思いますが、

こちらの記事をもう一度、参照してみてください。

十界もいうなれば、まだまだ大雑把な分類ですが、あまり細かく分けてもかえって分かりづらくなりますので、10分類くらいでいいのかな?と思います。

まあ、いわゆる菩薩界(キリスト教などで言う天使に相当する世界)であっても、お経(*華厳経)によっては、さらに52段階に分けたりしています。

52段階の上がもう仏界(ぶっかい)ということで、仏に至るまで合計53段階あると。そういうことで、「東海道五十三次」の53という数字は、ここに由来しているんですけどね。

霊界は縦割り構造もある

さて、

上記はいわゆる、霊界の横割り構造をご説明しましたが、

波動理論を振り返ってみると、「趣味趣向・価値観が近くて」ということでしたよね。

…ということは、「高さ低さ」では同じくらいのレベルの世界に還っている人であっても、趣味趣向が違えば、それはまたちょっと違う世界が展開していることになります。

たとえば、モーツアルトと空海が同じくらいの高さの霊界にいるとします(ほんとかどうかは、とりあえず別問題ということで)。

でも、モーツアルトと空海が共通の話題があるか?というと、あんまりないかもしれないですよね。笑

なので、霊格の高さでは同じくらいであっても、

モーツアルトであれば、同じような音楽家グループの世界にいらっしゃるでしょうし、空海であれば、やはり、宗教家同士のグループに属しているでしょうね。

これは地獄界でも同じことで、

同じレベルの地獄の住人であっても、「とにかく色欲に弱い」というタイプと、「異性にはあまり興味ないけど、俺は世の中に怒りまくって生涯を終えたぜ!」という人は、また別の世界に住んでいるわけです。

まあ、昔で言う、「色情地獄(血の池地獄)」と「修羅地獄」の違いということになりますね。

と、こんなふうに、霊界は横割り構造だけではなく、「種類別の」縦割り構造も持っています

もっとも、人によっては、「スピリチュアルも強いけど、政治もできる。芸術も強い」なんてマルチな方もいらっしゃって、

そういう場合は、その時々の気分や仕事の内容で、複数の世界を行き来していることになるでしょうね。

地獄の住人でも、「俺はしょっちゅう怒りまくっているが、女にも強いぜ!」とか。笑

そういう場合は、色情地獄と修羅地獄を自由に(?)移動しているのかもしれません。

天国と地獄は拮抗しているのか?

そしてさらに、これらの考えを敷衍(ふえん)していきますと…、

階層構造になっているということは、上の方へ(つまり天国)行けばいくほど、一定の上限がありまして、いわゆる、トップの霊人(エネルギー存在)がいるわけですね。

会社で言えば、代表取締役、取締役、〇〇事業部長…といったようなイメージです。

この天国のトップは誰か?というと、

僕が考えるに、これは釈尊ですね。釈迦牟尼仏。

あるいはもっと突き詰めて考えると、まあ、仏教用語で「法身(ほっしん)」というのですが、

歴史上の人物である釈尊の魂の本質部分ですね、

これを華厳経(けごんきょう)では、盧遮那仏(るしゃなぶつ)と言いますし、密教の方では「大日如来」と呼んでいます。

盧遮那仏が、地球の(霊界と地上世界を含めた)トップであると推測しています。

*今回はこの部分に深入りしませんが、「ネオ仏法のマクロの悟り」として、本当にここのところは重要なトピックなんです。いずれ、もっと詳しくご説明します。

さて、

僕らもそうなんですが、「魂が肉体に宿って」と言っても、魂のすべての部分が地上に降りてくるわけではなく、

エネルギー体の多くの部分を霊界に残してきているんです。

よく言われている「守護霊」というのは、(守護霊の定義にもよりますが)、自分以外の別の存在と言うよりも、霊界に残している自分自身のことなんです。

霊界に残してきている部分が、地上に降りている部分を見守っているわけですね。そして、地上生活で新たに得た知識や智慧、スキルなどを共有しているわけです。

それが、同じようにエネルギー存在であっても、天国の最上階に住んでいるような霊人になると、相当な巨大なエネルギーになりますので、

たとえば、釈尊やイエス・キリストであっても、地上に降りている部分は全エネルギー体のほんの一部ということになるわけです。

まあキリスト教徒の方から見ると、「イエスより釈尊が社長というのはちょっと…」というのはあるかもしれませんが、

やはり、生前の悟りと言うか、教えの高さ・広さ・深さを見る限りでは、釈尊のほうがずっと上だろうと推測しているわけです。

実際に、「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」という言葉があるように、

釈尊は地上に居ながらにして、天上界の神々よりも上の立場である、と明言していたわけです。

一方、イエスの方は、「天に父なる神がいらっしゃる」ということで、やはり、ちょっと立場が違うと思うんですね。

*もっとも、「三位一体説」(=父と子と精霊は一体である)を出されると、結局、同じじゃないか?となりそうですが、まあ三位一体説は、のちの教会が決定したものでありますんでね、イエスが生前にそのように説いていたかどうかとは別問題です。

また一方、地獄の方でも、最下部に代表取締役(?)がいるのかもしれません。

そして、その下に(上か?)、修羅事業部長とか色情事業部長とか(笑)、まあ「逆階層構造」になっているわけです。

ただそうすると、天国と地獄が、いろいろな物語で語られているように、「互角の勢力」として拮抗しているように見えますよね?

でも、実際はそうではなく、天国部分は、地球という地場さえも離れると、無限の彼方まで伸びているわけで。

大きさの比較でいいえば、天国が大きな川だとするならば、地獄というのは、河口部分のちょっとした濁りの部分である、ということですね。

うーん…今回も長くなって、輪廻転生まで話が行きませんでした。汗

続きはまた次回で!

→「生まれてくる意味と目的って何だろう? – ③地獄からの脱出法

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